山本七平『空気の研究』を読んで思い返すプロジェクトの炎上




 

Eテレの『100分 de 名著』でも紹介されていた、山本七平の『空気の研究』を読んだあとに、真っ先に下記の苦い経験を思い出した。

 

はじまる前から炎上していたプロジェクト

会社で「何か新しいことを始めなければ」という空気が社内に充満している時期があった。

 

その空気は、冷凍庫を開けた時に漂う冷気のように、上層部である経営陣から漂い、それは社内全体に広がっていた。

 

社員の中には目の前の業務で忙しい中、このうえ面倒臭そうなことを押し付けられるのではないかとヒヤヒヤしていた者も少なくない。

 

ちょうどその頃、天下のD社から協同でメディアサイトを立ち上げないかという話が舞いこんできた。

 

Web制作チームにいた僕は嫌な予感がした。

 

そしてそれは的中。

 

D社のプレゼンに執行役員であった当時の上長と出席することになり、うちの本社会議室へ足を運ぶことになった。

 

D社からはプロデューサーとプロジェクトマネージャーが出席し、うちからは、代表、専務、執行役員、営業部部長、なぜか営業の新人の女の子、そして当時Webデザイナーだった僕。

 

プロジェクトは、数年先のブームを見越した戦略であり着目点としてはうなずける内容であったものの、すぐに問題点が浮かび上がった。

 

役員たちはリターンばかりを気にしていたが、僕も上長も役員たち同様に見返りのインパクトに欠けていることを感じながらも、とりわけ無視できなかったのが、ターゲットの母数、リソース不足の2つの問題に強い懸念を抱いていた。

 

そしてD社は、うちのリソースに期待している発言をしていたが、その会議中うちの誰もがその問題に触れることはなかった。

 

現場に戻り、執行役員である上長と冷静に話し合い、やはりターゲットの母数、そして自社のリソース不足は拭えないとのことでリスクヘッジをする共通の認識を確かめあった。

 

数日後、本社で行われた役員会から帰ってきた上長の口から、まさかのプロジェクトの始動命令が下された。

 

僕とリスクヘッジを取ることで一致した上長に対し、なぜそのような決定にいたったのかと問いかけると、

 

「あの大手D社からのお話はチャンスだよ。そしてうちの会社が新しい分野に挑戦できる良いきっかけでもあるし、役員会でもそういったムードが高まり、やることにした。お前も頑張れ。」

 

とのこと。

 

結論を言うと、このプロジェクトは2年半後に失敗に終わった。リソース不足や運営をしていく体力がなくなってきたのだ。

 

1年目にプロジェクトを見直すタイミングが訪れた。今からジャッジしてもまだ損害は少ないはず。

 

疲弊しているスタッフを横目に、プロジェクトにそこまで関わっていない熱血派の上司が「ここまでやってきて途中でやめるのはもったいない」という新たな空気を醸成しはじめ、プロジェクトはあえなく続行。

 

のちに、コンコルド計画のサンクコストのバイアスの話を知ったときは思わず苦笑したのを覚えている。

 

プロジェクトに関わったことは個人的にはいい経験となった。短期間で多くの困難を経験できたおかげで、見えなかったものをたくさん見ることができた。

 

しかし、会社にとってはマイナスだった。

 

早計なプロジェクトであったがゆえ、組織についていけなくなったスタッフも多く失い、あらゆる面で損失を出す結果となった。

 

今思えばトップマネジメントチームとして杜撰ではなかったかと感じる。

 

プロジェクトの内容のことはこれ以上は省かせてもらい、問題はなぜ、上長ならびに他の役員たちはプロジェクトの始動を選んだのか?




 

彼らは、下記の「空気」に支配されていたに違いない。

 

  • 「何か新しいことを始めなければ」という空気
  • 「有名なD社からのお誘い受けた」という空気

 

さらに、プロジェクトの続行か中止かの見極めの時には、下記の「空気」に支配されていたに違いない。

 

  • 「ここまでやってきて途中でやめるのはもったいない」という空気
  • 「始めたからには成功をさせる」という空気

 

少なくとも当初、上長だけはリスクマネジメントをしようとしていた。

 

しかし、第一会議室にて経営陣である役員たちと卓を囲んでいるうちに、「何かをしなければならない」「新規事業を発足させなければいけない」という空気が「チャレンジ精神」「チャンス」という言葉に変換させたのではないか。

 

「おそるべき空気」の研究

日本人ならば誰でも知っているであろう「空気を読む」という言葉。

 

「KY」なんて使われ方もされてきた。

 

その「空気」について研究した山本七平著の『空気の研究』という本。


「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))

 

この本では、戦艦大和出撃の決断、公害イタイイタイ病の原因追求、光化学スモッグ問題など、前述の僕の体験談よりも深刻な社会問題・国際問題を例に、空気によって日本人個人の意思決定を左右する、妖怪のような、いわば見えない暗黙の権力の正体を考察している。

 

要約すると、ものごとを決めるときには人間の意思や科学的根拠ではなく、その場の空気が決める場面があるということ。

 

空気が醸成される原理、つまり空気の正体を解明するにあたり、山本七平さんは臨在感的把握という難しいキーワードを多用する。

 

一部、臨在感的把握について文中33ページから引用させていただくと、

 

物質から何らかの心理的・宗教的影響をうける、言いかえれば物質の背後に何かが臨在していると感じ、知らず知らずのうちにその何かの影響を受けるという状態…(省略)

 

例として、もし「車は走る凶器」というスローガン的な言葉を聞いたことがある人は、臨在感的把握が発動し、醸成された空気が伝わってきていることを意味する。

 

車は便利であると同時に危険を伴う物質であると思われがちだが、人間が危険な運転さえしなければ、ましてや、極論的に運転をしなければただの物質。つまり動かなければ鉄の塊に過ぎない。

 

しかし、交通事故が”多発”した時に、運転手ももちろんのこと非難の対象となるわけだが、人を殺める能力を兼ね備えている車こそが悪。という空気が醸成され、それが図式化することもありうる。

 

このように、車という対象(物質)への一方的な感情移入により、その対象への科学的根拠といった分析を無視してしまうような無意識の思考と行動へ転換する恐れがある。

 

意図的な空気の醸成が可能なら、スローガンも同様にプロパガンダにも共通する危険な側面があるとも思った。

 

こういった無意識の働きは、日本の文化・歴史をさかのぼり紐解いていて、日本人特有の偶像崇拝性的な概念に縛られてる視野で物事を感じ取ってしまう宗教心に行き着くことまで研究されている。

 

科学的にはただの「石」なのに、その石に霊的な何かが宿っていると感じてしまうことは僕自身も理解してしまう。

 

もし石が仏像の形をしていれば粗末な扱いはできないし、そこに何年も神と崇められてきた石があったとしたら、思わず手を合わせてしまうかもしれない。

 

では、我々日本人は空気から逃れることは不可能なのか?

 

醸成された空気から現実に引き戻す作用として通常性を意味する「水を差す」という言葉を用いて述べている。

 

しかし、これも結局自分(たち)にとって不利になり得ることだと悟った際、たんなる空気を変えるための新しい空気を醸成させる素となる「水」に過ぎず、それはのちに蒸発を起こし、繰り返すが、新たな空気として醸成されることも懸念材料とされる。

 

時に悲劇的な末路を迎えることになりかねない恐るべき妖怪のような「空気」。

 

山本七平氏と同様、悲惨な戦争経験者である水木しげる氏の妖怪の中に、この空気が基になっている妖怪がいたら知りたい。

 

何はともあれ、僕ら日本人のDNAに組みこまれた性質を理解し、空気に支配される恐れがあることを認識する必要がある。

 

その場において、今後自分は上長と同じ轍を避けることはできるのか・・?

 

少なくとも、「空気」の存在を把握した現在、物事を別の角度から客観視できるようにはなった。